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大阪高等裁判所 昭和49年(ネ)2240号 判決

控訴人 松本長 ほか一名

被控訴人 国

訴訟代理人 渕上勤 西村省三 ほか六名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は、控訴人松本長に対し金一万五、〇〇〇円を、控訴人松本スエに対し金一万五、〇〇〇円をそれぞれ支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張及び証拠の提出、援用、認否は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。

(控訴代理人の陳述)

昭和四四年法律第八六号による改正前の国民年金法(以下、改正前の国民年金法と略称する。)第七九条の二第五項に規定する夫婦受給制限は、老令者が夫婦者であるという社会的身分により経済的関係において施策の上で差別的取扱をするものであり、何ら合理的根拠のないものであり、憲法第一四条に違反し無効である。

被控訴人は、老令者が夫婦者である場合には、共同生活における生活費の共通部分の節約が可能であるのに、単身老令者についてはそれがないという差異があり、これを調整し、両者間の均衡を図るため支給額に差等を設けても不合理な差別ではない旨主張するけれども、そのことをもつて直ちに夫婦受給制限規定の合理性の根拠とするのは早計である。夫婦受給制限規定の合理性は、老令福祉年金の性格、年金受給対象となる老人の生活実態等を総合的に検討して判断されなければならない。夫婦受給制限規定が合理性を有しないことは左記の点からも明らかである。

(一)「共同生活に由来する生活費の共通部分の節約」なる考え方は、当初の立案当局においてすらこれを有していなかつたものである。すなわち、昭和三三年より国民年金制度の企画立案を担当した小山進次郎は、夫婦受給制限の根拠について、「一般的に、財源を税に仰ぐような無拠出の年金の場合、夫婦ともにこれを受けるときは、支給額を若干少くするという例があるということが、その理由であつたと思う。しかし、普通の消費体において一人が二人になれば消費単位が若干減ずるということを右制限の理由にした記憶はない。」旨述べ(〈証拠省略〉)、当時、右のような生活費の共通部分の節約が可能であるとの考え方は、立案当局自身これを有しなかつたことを明らかにしている。

(二)  夫婦受給制限規定が設けられたのは、主として財政的な理由からである。老令福祉年金を含む国民年金法の立案実施に参画した高橋三男もそのことを明らかにしている(〈証拠省略〉)。すなわち、老令福祉年金制度の実施に当つては、なによりもまず予算の枠が優先的に定められていたのであり、そして受給制限は、右年金制度の実施に伴う国庫支出を右の予算枠内にとどめる手段として行われたものであることは明らかである。

(三)  本件老令福祉年金の如きいかなる意味においても年金の名に値しない程の極度に低額の制度においては、その中に生活費の共通部分を指摘しうる現実的余裕は到底見出すことができない。もともと、生活費の共通部分を論じ得たのは拠出制の老令年金額についてであつて、無拠出制のそれとは無関係であつたのである。前記小山進次郎もこのことを明言している(〈証拠省略〉)。

(四)  本件年金月額は、もともと共通経費を除いた上で算出されたものである。拠出制の老令年金の最高額を月三、五〇〇円と定めるについては、社会保障制度審議会の答申並びに政府案のいずれにおいても、共通経費を除いた老人の生活費が右月額の算出基礎ないし参考とされているのである(〈証拠省略〉)。

そして、老令福祉年金の月額については、社会保障制度審議会答申並びに政府案のいずれにおいても、「むしろなんらかの意味をもつ額としては、月二、〇〇〇円程度であるが、全額国庫負担である関係上当面その半分程度でやむをえない」として月額一、〇〇〇円と定められたことが明らかである。ところで、ここにいわゆる「むしろなんらかの意味をもつ額としては、月二、〇〇〇円程度」というその金額は、右審議会答申が老令年金の最高月額につき「生活保護における老令者の基準額が共通費を除き農村地方である四級地で月二、〇〇〇円程度であることも考慮し」て算出していることと密接不可分の関係にある。なぜなら、いずれも同一答申の内容であること、老令年金と老令福祉年金との関係からみても、月額算出の基礎ないし方法につき区別すべき特段の合理的理由も存しないからである。

このように、老令福祉年金の月額算出に当つては、そもそも共通費が除かれている以上、右共通費に着目した減額調整を受給制限の理由とすることは、論理上破綻しているものといわねばならない。

(五)  それらに加えて、老令者の生活実態に鑑みると、夫婦受給制限の合理的な理由は全く見当らない。

(1)  現代の貧困の中心は、「生活問題」と「医療問題」であり、その解決がさし追つた課題である。とりわけ老令人口の急激な増加と人口老令化、家族の扶養意識の変化と核家族化、社会保障とくに年金の所得保障の未成熟、定年制と高令者の就業問題が老令者の生活問題を一層深刻なものとしている。

医学、医療の進歩により、死亡率が低くなり、このため中高年令層の人口比率が急激に大きくなり、出生率は逆に低下し、一五才以上人口中に占める六五才以上人口の構成比は高くなつてきている。

わが国の老令者生活問題の特徴は、自己の収入で自活できる人が非常に少ないこと、子供と同居して子供の扶養を受けている老人が相当多いこと、また働く高令者が増えており、有病率が高く相当無理をして働いていることがあげられる。

(2)  自活不能

昭和三八年度高令者生活実態調査報告(〈証拠省略〉)によれば、六五才以上で、はつきり食べてゆけないと答えたもの六六・八%、七〇才以上では六八・四%、七五才以上では七六・〇%、八〇才以上では八〇・八%と高令者ほど高くなつている。

(3)  稼働老令者の実態

年令別の稼働率は、男子では、六五~六九才で六〇%、七〇~七四才で三一%、七五~七九才で一七%、八〇才以上で一一%、女子では、六五~六九才で二九%、七〇~七四才で一八%、七五~七九才で八%、八〇才以上で六・五%と漸減している(〈証拠省略〉)。稼働の理由は、働かないと生活に困るとする者が圧倒的に多い(〈証拠省略〉)。

健康状況別にみれば、いうまでもなく「元気」な人の就業率が高いが、「弱い、病気がち」の人でさえ、男子一七%強、女子八・五%が就業しているのは、まことに悲惨である(〈証拠省略〉)。高令者が病気をもつたまま働いている人のいることは、それだけ生活の厳しさを反映したものといえる。

最も深刻なのは、身体の調子が悪いと自覚していながら、治療を受けていない者は、二三・一%あり、その理由は、治療しても治らない二八・〇%、家族に迷惑がかかるから三・七%、お金がかかるから四・三%となつている(〈証拠省略〉)。

(4)  自活不能者の生活保障

自活能力のない者のうち、大部分(七八・二%)は、子供と同居して扶養されている(〈証拠省略〉)。しかし、低所得階層では子供自身の生活が苦しいので同居扶養は困難になるケースも少くない。

(5)  老令福祉年金受給者の生活実態

七〇才以上の老令者のうち、老令福祉年金を受けている人は、昭和三八年で二四八三、〇〇〇人で六八・八%、昭和四八年で三六九五、〇〇〇人で七三・九%となつている(〈証拠省略〉)。

そこで、老令福祉年金の経済的、社会的効果についてみると、昭和三五年東京都墨田区の効用調査によれば、直接これを生計費に用いたものは、四七・三%(〈証拠省略〉)となつている。

七〇才以上で老令福祉年金を受けている者の増加は、昭和四〇年に二四八三、〇〇〇人であつたものが、昭和四五年には三〇一二、〇〇〇人となり、昭和四〇年の受給者を一〇〇とすると、昭和四五年のそれは一二一となる。ところで、被保護世帯の年令階級別による割合をみるに、六五才以上の高令者で生活保護を受けている人は、昭和四〇年で二一三、六二三人、昭和四五年には二六七、〇一七人であり、この増加率は昭和四〇年を一〇〇とすると、昭和四五年は一二五となる(〈証拠省略〉)。

以上のように、老令福祉年金受給者の増加率よりも、生活保護を受ける高令者の増加率が高いということは、老令福祉年金によつては被保護者層に転落する高令者層の増加をくいとめ得ないことを意味する。これをいいかえると、老令福祉年金には防貧的な効果はないということになる。同じようなことは、昭和四〇年には六五才以上の高令者の中で被保護者は三四・六%であつたものが、昭和四五年には三六・三%と保護率そのものも高くなつている点からも首肯しうる。

以上のように、高令者の生活実態、老令福祉年金の果している役割をみれば、夫婦受給制限規定には何らの合理性も有していないことが明らかである。

(被控訴代理人の陳述)

控訴人の主張は、すべて争う。改正前の国民年金法第七九条の二第五項にいわゆる夫婦受給制限は、決して老令者が夫婦者であるという社会的身分によつて不合理な差別的取扱をするものではない。

(一)  憲法第一四条にいう「平等」には、人々の受ける利益や負担を算術的平均によつて機械的に均等に分つ「形式的平等」と名誉や財産や不利益などを各人の値する分に応じて配分する「実質的平等」とがあり、最低生活保障の原理にたつて救済的に最低限度の生活を保障すべき公的扶助においては実質的平等によつて給付が実施されねばならないが、最低生活を予防的に保障しようとする狙いの社会保険給付を支配するものは形式的平等をもつて足ることになる。そして、老令福祉年金制度においても一応原則的には形式的平等がとられてはいるが、無拠出であり全額国庫の負担において給付がおこなわれるところから、必ずしも形式的平等に徹底せず、その受給の要件として本人の所得並びに配偶者または扶養義務者の所得が一定額以下であることが要求されている面では実質的平等の視点が斟酌されている。

このように、一定の限度内においては、老令福祉年金は老令者の各々の個別的需要を捨象して一律に一定の経済的利益を平等に支給する方式がとられてはいるが、一律平等に一定の経済的利益を各個人に支給することを厳密に徹底するためには、特定個人間の特殊事情によつて重複してくることとなる分が生ずる場合には、右の過大分を調整する方がむしろ真に平等を確保する所以となる。

ところで、一般的に、夫婦が共同生活を営む場合、その生活費に何らかの共通部分(以下、共通経費という)が存することは明らかであり、ほぼ同様の生活水準にある単身者と夫婦者とを比較した場合には、このような共通経費の節約がなされることは、理論上のみならず実態としても真実である。

控訴人らは、本件の如き老令福祉年金は極度に低額であり、その中に共通経費を指摘しうる現実的余裕はない旨主張するけれども、仮に現実に支給される老令福祉年金が些少であり、共通経費節約の余地が僅少であつても、それは単に量の多寡の問題であつて、共通経費の節約そのものを質的に変更するものではない。

したがつて、老令者の夫婦者が、もしそれぞれ単身者である場合に支給されるべきものを一定の共通経費の節約に対応する分だけ支給停止されたとしても、むしろその方が却つて平等であるとみられるから、かかる立法的措置も事柄の性質に応じた合理的理由によるものというべきであつて、憲法第一四条の禁止する不合理な差別的取扱をなすものとすることはできない。

右のとおり、共通経費の節約可能という点から夫婦受給制限に一応の合理的理由がある以上、その給付の絶対額及び夫婦受給制限額をいかほどとするかについては立法政策上の当不当の問題であつて、差別的取扱などの違法の問題は生じないというべきである。

なお、夫婦者であつても別居中の者については共通経費の節約ということがないのは当然である。しかし本件で問題となつているのは一つの規定の制度としての合理性である。無拠出の年金は、社会保険等と同じく定型的に給付をなすものであるから、対象をある程度類型的に把握し、これを全体的平均的に考察してその取扱を決め、その適否を判断すべきである。夫婦についてもある程度類型的な把握が可能である。すなわち夫婦は法律的に同居・協力・扶助の義務を負つているばかりでなく、事実上も大多数の夫婦は同居し生計を共にしている。真にやむを得ない理由によつて別居を余儀なくされている老人夫婦はごく少数であり、同居の可能な夫婦がたまたま勝手に別居している場合にまでそのために生ずる余分な費用を理由にして、同居している夫婦以上の給付を要求することは許されない。したがつて、別居中の夫婦について別段の考慮をしていないからという理由で夫婦受給制限規定を非難することはできないというべきである。

(二)  ところで、控訴人らは、夫婦受給制限規定は、主として財政的な理由から設けられたものであるに過ぎず合理性を有するものではない旨主張するけれども、前記のとおり、夫婦受給制限の考え方には合理的根拠があるのみならず、夫婦受給制限に限らず、国民年金制度の創設そのものが予算に関係するものであり、その財源が一般国民の税負担で賄われていることを考慮すれば、財政支出の見通しをたてた上で政策を決定すべきことは当然であり、むしろ立法者の義務というべきであるから、右主張は失当である。

しかして、右の如き合理的根拠を有する受給制限により浮いた財源を他に給付することによつて、より多数の国民層に公的給付を受けられるようにすることは、限りある財源を効率よく公平に活用する見地からも相当のことというべきである。

(三)  更に、控訴人は、本件老令福祉年金の月額は、もともと共通経費を除いた上で算出されたものであるから、共通経費の存在を理由とする減額調整を夫婦受給制限の根拠とすることは論理の破綻である旨主張するけれども、当らない。

控訴人らが指摘する「生活保護における老令者の基準額が共通経費を除き農村地方である四級地で月二、〇〇〇円程度である」との引用部分(甲第三五号証、小山進次郎著「国民年金法の解説」中の記述部分)は、乙第一〇号証の二(証人小山進次郎の証人調書)によれば、記述自体の誤りであつて、「月二、〇〇〇円程度」というのは共通経費を除かない場合の金額であることが明らかである。老令福祉年金額は、前記の如き共通経費を除いた老令者の生活費を算出の基礎としたものではなく、控訴人らの右主張は失当である。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一  当裁判所も、控訴人らの本訴請求はいずれも失当として棄却を免れないものと判断するものであつて、その理由は、左記のとおり訂正、付加するほか、原判決の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。

(一)  原判決一一枚目裏一〇行目に「至つて」とあるのを「亘つて」と、同一三枚目表三行目に「その生活費の一部を補助」とあるのを「その所得の一部を保障」と、同四行目に「しようとするもの」とあるのを「することを目的とする社会保障施策である」と、同五行目に「また」とあるのを「そして」と、同一七枚目表八行目に「至つたのであつて」とあるのを「至つたことが明らかであつて」と各訂正し、同一四枚目表八行目の「支給するという」の次に「均一拠出・均一給付の原則がとられており、」を、同一七枚目表五行目の「考えられ、」の次に「成立に争いのない甲第二四号証の一ないし六、同第二五、第二六号証によれば」をそれぞれ加える。

(二)  いわゆる無拠出制の老令福祉年金は、拠出制を基本とする老令年金制度が発足当時、既に老令であつたり、また拠出能力を欠くために国民年金法の適用による同法の利益を受けられない者に対しても、国民皆年金という社会保障制度を均需させ年金的保護を得させようとの政策的配慮に基づき設けられた経過的、補完的な制度である。

しかして、右老令福祉年金は、老令という、一般的に稼得能力の喪失ないし著しい減退を来たすであろうと想定される事故の発生した場合に年金給付を行うことを建前とするものであるが、その資源は国庫の負担によるものであり、かつ、その受給には若干の所得制限も設けられており、これらの点よりすれば公的扶助的色彩の強い制度となつている。しかしながら、典型的な公的扶助の制度である生活保護が、専ら憲法第二五条第一項の趣旨に基づき、生活に困窮した者に対し最低生活を保障することを目的とするものであつて、貧困者に対する事後的、補足的な救貧制度であるのに対し、老令福祉年金は、専ら憲法第二五条第二項の趣旨に則つて、未だ生活困窮の状態までには立到つていない国民層に対し、その所得の一部を保障して生活設計に目途を与え、生活の安定に寄与しようとするものであり、いわば防貧的制度の範ちゆうに属するものというべく、この点において公的扶助とは異るものといわねばならない。

すなわち、生活保護においては、対象者につき個々的な収入認定、資産調査を行うことによつて具体的な困窮度を測定し、その需要度に応じて給付額を調整するのに対し、老令福祉年金は個々の老令者の経済状態や生活程度の差異を捨象して、これを大量的、類型的に観察し定型的生活者としての老令者を想定し、その平均的な需要に着目して一律に定額を給付するものとなつているのである。

これを要するに、無拠出制の老令福祉年金は、公的扶助的色彩を有するけれども生活保護と同一に論ぜられるべきものではなく、本来は社会保険類似の社会保障制度であると解するのが相当である。

したがつて、本件老令福祉年金を生活保護と同一の公的扶助と解する観点より立論を展開し、老令福祉年金の給付額、夫婦受給制限規定等を論難する控訴人らの主張は失当といわねばならない。

(三)  ところで、夫婦は本来一体として共同生活を営むものであり、このような夫婦の共同生活においては生活費に共通部分が生じ、それらが節約可能であることは見易い道理である。そして、かような夫婦がともに老令福祉年金を受ける場合は、夫婦が一体として生活保障を受けていると考えるのが実際的であり、かくして給付されたもののうちにも、右と同様に共通費用的な部分が存在するものというべく、このようなことの生じえない単身老令者との均衡上、右共通費用に相当する部分につき夫婦老令者に対し多少調整を加えることは妥当な措置であり、却つて夫婦老令者と単身老令者とを実質的な平等の下におく結果ともなるものと考えられる。

したがつて、いわゆる夫婦受給制限措置は、給付する年金額において、夫婦老令者を単身老令者と差別して取扱うものであるが、これをもつて不合理な取扱とすることはできないものであり、むしろ事柄の性質に即応した合理的な差別的取扱というべきである。

(四)  控訴人らは、本件におけるが如き夫婦受給制限規定は、専ら国の財政的理由によるものであつて、何ら合理性がない旨主張する。

しかしながら、夫婦受給制限規定は、夫婦老令者の共同生活から生ずる共通費用の節約可能性に着目すると、夫婦老令者と単身老令者との間において年金支給額の調整、均衡を図るのが事柄の妥当な筋道であるとの理由を根拠とするものであり、合理的な措置であることは前叙のとおりである。そして、老令福祉年金が無拠出制であり国庫に依存していることよりすると、国庫の効率的な運用を維持し、国庫の負担によつて受けるべき年金受給者間の利益の公平化を図ることが当然要請されるのであり、夫婦受給制限が右の要請を満たすための一方策として採られた措置であることは否定し難いけれども、右の点をもつて、控訴人ら主張の如く、専ら国の財政的理由のみが夫婦受給制限措置の根拠であるとすることはできず、また前記の如き夫婦の共同生活に由来する生活費の共通部分の節約可能性に着目した受給制限の合理性を失わしめるものともいえない。

控訴人らの右主張は理由がない。

(五)  控訴人らは、老令福祉年金額は極めて僅少、低額であり、その間に夫婦の共同生活に由来する生活費の共通部分なるものを考える余地はない旨主張する。

しかしながら、老令者の所得保障という所期の機能を満し得る年金額としては幾何の金額が相当であるか、すなわち老令年金の給付水準、給付額を如何にすべきかは、立法機関が国民経済の進展、国家財政の状況等を総合考慮して合目的的な裁量をもつてなすべき問題というべく、年金額の多寡あるいはその是非は当不当の領域にとどまり、夫婦老令者の受給制限という調整措置そのものを違法ならしめるものではないといわねばならない。

のみならず、〈証拠省略〉によれば、老令福祉年金制度の発足に当り、当初年金額として算定された月に金一、〇〇〇円という額は、当時における国民生活の状況、国家財政等の諸般の事情よりみて、無拠出制の年金額として意味のある額として算出されたものであることが認められるのであるから、本件老令福祉年金額が前記の如き夫婦受給制限という調整措置を不当とする程の低額であるとすることはできない。

そして、老令福祉年金は、前叙の如く生活保護と異り、防貧的な所得保障の制度であるから、その給付年金額の妥当性や合理性について生活保護の次元または基準をもつて論ずるのは正当でないといわねばならない。

控訴人らの右主張は当らない。

(六)  控訴人らは、老令福祉年金額は、既に共通経費的な部分を控除して算出されているのであるから、更に右共通費用に着目して減額調整することを夫婦受給制限措置の理由とするのは論理として破綻している旨主張する。

しかしながら、成立に争いのない甲第三五号証(国民年金の解説)には、年金額の算定につき右と同旨の記載が存するけれども、成立に争いのない乙第一〇号証の二(証人小山進次郎に対する尋問調書)の供述記載に徴すると、甲第三五号証中の右記載部分は、著者の記述誤りであることが認められるから、右主張を認める証拠とはなし難く、また成立に争いのない甲第一七号証(証人小川政亮に対する尋問調書)にも右主張と同旨の供述記載があるけれども、右部分はその記載自体からみて甲第三五号証の前記記述部分を援用していることが明らかであるから、甲第一七号証も控訴人らの主張を認める資料となし難く、他に控訴人らの右主張を肯認するに足る資料はない。

したがつて、老令福祉年金額が共通経費的な部分を控除して算定されたということを前提とする控訴人らの主張は理由がない。

(七)  控訴人らは、控訴人ら主張の如き老令者の生活実態に徴すると、老令福祉年金には防貧的効果はなく、夫婦受給制限規定は何ら合理性がない旨主張する。

案ずるに、老令福祉年金は、前叙の如き目的と内容とを有する防貧的制度であるところ、本来、福祉年金等の防貧制度は、生活保護等の救貧制度と相俟つて憲法第二五条の要請する社会福祉、社会保障、及び公衆衛生の向上及び増進に寄与すべきものであり、相互に有機的に補足し合つて社会保障制度全体を効果的ならしめるべく予定されているものであるから、控訴人ら主張の如き老令者の生活実態が存するとしても、これのみをもつて、夫婦受給制限規定を含む制度としての老令福祉年金が、所期の機能を果しているか否かを論議するのは妥当でない。

しかして、前叙の如く、老令福祉年金につきその給付額、給付水準を如何にすべきかは立法機関の合目的的な裁量に委ねられているものというべきであるところ、夫婦受給制限の規定は、前記の如く、夫婦老令者については共同生活に由来する生活費の共通部分の節約がなされうるのに対し、単身老令者についてはそれがないという差異を調整し、夫婦老令者と単身老令者との間の支給の均衡を図らんとする措置であり、国家財政の都合のみをもつて設けられたものではなく、立法機関の恣意によるものということはできないのであるから、老令者の生活実態が控訴人ら主張の如きものであるとしても、これをもつて直ちに右減額調整措置を論難するのは当らないというべきである。

控訴人らの右主張も採用し難い。

(八)  以上の次第であつて、本件夫婦受給制限規定は、憲法第一四条にもまた同法第一三条にも違反するものではなく、これを無効と認めることはできないものといわねばならない。

二  よつて、右と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項によりこれを棄却し、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 本井巽 坂上弘 諸富吉嗣)

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